先行情報
- 受付期間
- 2026/05/26(火)18:00 - 2026/06/04(木)23:59
- 当落発表・入金期間
- 2026/06/27(土)15:00 - 2026/06/30(火)23:59
- 枚数制限
- お一人様1公演につき4枚まで(複数公演エントリー可)
- 受付システム
- ローソンチケット
- お申込に関する注意事項
-
●本先行は、KAI SHOUMA Fanclub限定のチケット先行受付となります。
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●KAI SHOUMA Fanclub会員の方はAmuse+チケット先行もお申込みいただくことは可能ですが、同一公演回を重複してのお申込みはお控えください。
なお、同一公演回において両先行からお申込みをいただいた場合でも、重複して当選となることはございません。
公演情報
2026/10/26(月) - 2026/11/28(土)
[東京] 東急シアターオーブ
- 取扱い公演日程
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10/26(月) 13:00
10/27(火) 13:00[S席のみ]
10/29(木) 18:00
10/31(土) 18:00
11/03(火・祝) 18:00
11/08(日) 18:00
11/09(月) 13:00
11/10(火) 13:00
11/12(木) 18:00
11/14(土) 13:00
11/15(日) 18:00
11/17(火) 13:00
11/19(木) 13:00[S席のみ]
11/23(月・祝) 13:00
11/24(火) 18:00
11/26(木) 18:00
11/27(金) 13:00
11/28(土) 18:00
※本先行では、甲斐翔真出演回のみの取扱いとなります。
※本先行では、10/25(日)までの公演および貸切公演の取扱いはございません。
※キャストスケジュールは、公演オフィシャルサイトにてご確認ください。 - チケット料金(全席指定・税込)
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平日
S席 18,000円
A席 12,000円
B席 6,000円
土日祝日・千穐楽
S席 19,000円
A席 13,000円
B席 7,000円 - 注意事項
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※主催者の同意なく有償で譲渡することは禁止します。<チケットご購入に関するお願い>
※劇場内では咳エチケットにご協力ください。
※公演情報などに変更が生じる場合がございますので、あらかじめご了承ください。
※出演者並びにスケジュール変更の際は何卒ご了承くださいませ。出演者変更の場合でも他日への変更・払戻しはいたしかねます。
※公演中止の場合を除き、払戻し、他公演へのお振替はいたしかねます。ご了承のうえ、お申込みください。
※未就学児のご入場はご遠慮いただいております。
※出演者の入待ち・出待ちはお断り申し上げます。また、出演者に対してのお祝い花(スタンド花、アレンジメント、鉢物、他)は、楽屋花も含め、スペースの都合により、お断り申し上げます。
※車椅子対応エリアでご観劇希望のお客様は、あらかじめS席のチケットをご購入の上、座席番号を東宝テレザーブ(0570-00-7777 ナビダイヤル)までお早めに(受付はご観劇日3日前まで)ご連絡くださいませ。お席の場所は当日ご案内します。
車椅子対応エリアには限りがございます。お連れ様はご自席でのご観劇をお願いいたします。
[ご注意]
当エリアのご予約がない場合は、誠に恐れ入りますが、一般席として発売させて頂くこともございます。何卒悪しからずご了承賜りますようお願い申し上げます。 またご予約状況や初日・千穐楽など、公演回によっては当エリアをご案内できない場合もございます。詳しくはお電話にてお問い合わせくださいませ。 - 公演に関するお問合せ
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東宝テレザーブ
0570-00-7777(ナビダイヤル)
作品情報
- INTRODUCTION
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『ミス・サイゴン』は、『レ・ミゼラブル』のクリエイティブ・チームが手がける第2弾として製作され、日本では1992年から1年半の帝劇ロングラン以来、通算上演回数1569回を重ねる大ヒット作です。
舞台は、ベトナム戦争末期のサイゴン。エンジニアの経営するキャバレーで知り合った、ベトナム人の少女キムと米兵クリスの二人の愛、別離、運命的な再会。そして、キムの子タムへの究極の愛・・・『ミス・サイゴン』はすべてを歌で表現します。
装置のスケールも規格外で、キムとクリスの別離は、実物大のヘリコプターが登場する象徴的なシーンとしてあまりにも有名です。
音楽、スケール、魂を揺さぶる感動、どれをとっても「伝説」として語り継がれる作品は、『ミス・サイゴン』をおいて他にありません。
戦争の悲劇が私達とそう遠くない世界で繰り広げられる今、少女キムの思いを劇場の空間いっぱいに心を込めてお届けいたします。
【ベトナム戦争の世界と時代】
ニュースが伝えた戦争
ベトナム戦争は、初めて戦場の様子が、テレビで伝えられた戦争だ。1975年4月30日ニュースで、北ベトナム軍の戦車が南ベトナムの大統領官邸のフェンスを突破し建物に、北ベトナム軍の旗が打ち振られる映像を人々は目にした。超大国アメリカと南ベトナムの敗北、サイゴン陥落を象徴する映像だった。
そして、サイゴン陥落の混乱の映像もニュースで流された。北ベトナム軍の報復を恐れた市民たちが、アメリカ大使館やタイソンニュイット空軍基地に押し寄せた。離陸しようと滑走する飛行機にすがりつく人々、それを排除しようとする米軍兵士、恐怖が混沌を引き起こしていた。舞台で描かれるように、市民が詰め掛けるアメリカ大使館のゲート、閉ざされたゲートの隙間から転がり込むように中に入る人々、沢田教一氏の有名な写真に名を借りるならばまさに「安全への逃避」である(戦場カメラマンであった、沢田教一氏はこのシーンではなく、戦場から川を渡って非難する母と子供たちの写真を撮り「安全への逃避」と題しピューリッツァー賞を受賞した)。そして、次々と飛来するヘリコプターが市民や兵士を搭載し屋上から飛び立ち、海上の空母に向かった。収容しきれないヘリは海上に投棄され、実質的にベトナム戦争は終結をした。
ベトナム戦争の起源
歴史的事象の起源を探ることは難しい。歴史を紐解くということは、現在という点が描いた軌跡が過去であり、その線をどこまでたどるかはそれぞれである。また、ソ連というマルクス・レーニン主義に基づいた国家群が消滅した今社会主義と、共産主義の解釈があいまいになっている。
ベトナム戦争の期限を区切るために、日本軍の仏印進駐までさかのぼりたい。資源を求めた日本軍は1940年、仏領インドシナ連邦(インドシナ、現在のベトナムとラオス・カンボジア)に武力侵攻した。1945年3月の日本軍全土制圧でフランスが撤退し連邦が解体した以降は、日本の軍事的な干渉下に置かれていた。第二次世界大戦終戦後、世界各地で民族主義が台頭する。ベトナムも同じであり、日本軍の撤退によりフランスの支配が再開されると、一気に独立の気運が高まった。
ホー・チ・ミンに率いられたベトナム独立同盟(べトミン)は、終戦後即座に、ハノイにおいてベトナム民主共和国(北ベトナム)の建国を宣言した。宗主国であるフランスは、これを認めず、1946年3月にフランスはベトナム南部にコーチシナ共和国を成立させる。フランスはベトナム民主共和国に武力で侵攻、第一次インドシナ戦争と呼ばれる戦争が始まった。そして新たにサイゴン市を中心に1949年6月ベトナム国(南ベトナム)を成立させる。同年7月ラオス、11月にカンボジアを独立させ、ベトナム国の正当性を認めさせようとした。これが南北分断の起源といえる。
冷たい戦争
「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまでヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパ及び東ヨーロッパの歴史ある首都は、すべてその向こうにある」
アメリカを訪れた、イギリスのチャーチル首相が1946年フルトンの大学での講演で使用した「鉄のカーテン」という言葉に象徴されるように、第二次大戦終結から、1989年12月、地中海のマルタ島でソ連・ゴルバチョフ書記長とアメリカ・ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が会談し、終結を宣言するまで、世界は、アメリカを盟主とする資本主義(自由主義)の西側陣営、ソ連を中心とする社会主義(共産主義)の東側陣営の二極対立の緊張状態が続いていた。まさに、お互いに核兵器を突きつけてのロシアンルーレットのような緊張を生んでいた。これが東西冷戦といわれる状態であり、ヨーロッパの東西で睨み合い、様々な途上国で大国の覇権をめぐる戦争や紛争が続いた。
ベトナムも例外ではなく、ホー・チ・ミンのベトナム民主共和国は、ソ連と中国がベトナムの正当政府と認め、武器援助をし、一方、アメリカは、フランスとインドシナ三国に武器援助をした。特に、アメリカは「一国が共産化されれば、周辺諸国も共産化する」という猜疑的な「ドミノ理論」という考えを持っていた。
ディエン・ビエン・フーの戦い
「アメリカン・ドリーム」の歌詞の中で、エンジニアが歌う、「胸が痛みまさ、臭いのは香水で消す フランス人が教えた、ディエン・ビエン・フーの戦いで、フランスは引き上げた、お次のお客は、ドルを撒き散らす……」
ディエン・ビエン・フーの戦い。1954年劣勢にあった、フランス軍は、ラオス国境に近い、険しい山に囲まれた、ディエン・ビエン・フーに、航空基地と、要塞を築き、2万人に近い兵力を集結させていた。それに対し、ベトナム共和国軍は、人海戦術で、山の頂に大砲を運び上げ包囲し、昼夜を問わぬ猛攻を仕掛けた。雨季の泥にまみれた戦場は悲惨を極めた。2ヶ月に及ぶ戦闘の果て、フランス軍は降伏。ジュネーブの和平協定で停戦。これで、第一次インドシナ戦争は終結する。
アメリカとベトナム戦争
しかし、このジュネーブ協定は、禍根を残す。協定の内容としては、ベトナムは南北に分離し、1956年7月に自由選挙を行い統一を図るというものであったが、1955年アメリカの後押しを受けた(アメリカは、15000人ほどの軍事顧問団を派遣していた)、ゴ・ディン・ジエムが選挙で南ベトナムの大統領に選ばれた。ゴ・ディン・ジエムは、ベトナム共和国の建国を宣言し、北ベトナムとの統一選挙を拒否した。アメリカとアメリカ軍事顧問団の支援の下、一方で、ゴ・ディン・ジエムは一族による政治支配と独裁、極端に腐敗した政治、経済政策の失敗で塗炭を舐める国民には弾圧を加えた。特に、国民の崇拝する仏教徒の僧侶の抗議の焼身自殺が続き、世界に衝撃的な映像が伝えられた。
ゴ・ディン・ジエム政権は、軍事クーデターによって倒され、更なる軍事クーデターが起こり、政情は混迷を深めていった。そして、南ベトナムでは、北ベトナムの支援と指導の下、南ベトナム解放民族戦線(べトコン)が生まれ、治安は極端に悪化した。
1963年11月ジョン・F・ケネディーがテキサス州ダラスで暗殺され、副大統領のリンドン・B・ジョンソンが大統領に就任した。1964年8月、アメリカは、公海上のトンキン湾で米駆逐艦が魚雷艇に攻撃されたとして、北ベトナムの魚雷艇の基地に攻撃を仕掛けた。
このトンキン湾事件については、後年アメリカの駆逐艦が、北ベトナムの領海内で、魚雷艇基地の攻撃任務についていたことか明らかになる。
8月7日、アメリカの上下院は、ジョンソン大統領に無条件の戦争大権を与え、ベトナム戦争は、エスカレートしてゆく。1965年2月、北ベトナムへの爆撃開始、3月に海兵隊、続いて陸軍、1967年には、最大で50万人を越える若者が、祖国を遠く離れたベトナムに送られ、ジャングルで戦い、泥の中で眠った。相手は、民族解放戦線のゲリラだけではなく主体は、北ベトナム正規軍だった。
戦争後遺症
戦争から生きて帰還した者も、戦争の犠牲者であった。常に緊張した状態から開放されても、彼らの心の傷は癒すことはできなかった。国のために戦ってきたはずだが、アメリカでは、反戦運動が盛り上がり、同じ世代の徴兵を猶予された若者はヒッピーとなり青春を謳歌している。歓迎式典もない。社会復帰するには、心の病が重すぎて、麻薬や薬物に依存するもの、犯罪を犯す者もいた。彼らは、「国のために戦った」のに、彼らベトナム帰還兵は社会から「白い目で見られた」のである。
戦争という暴力が、この世に存在する限り、この作品のメッセージは、色褪せることはない。 - STORY
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1970年代のベトナム戦争末期、戦災孤児だが清らかな心を持つ少女キムは陥落直前のサイゴン(現在のホー・チ・ミン市)でフランス系ベトナム人のエンジニアが経営するキャバレーで、アメリカ兵クリスと出会い、恋に落ちる。お互いに永遠の愛を誓いながらも、サイゴン陥落の混乱の中、アメリカ兵救出のヘリコプターの轟音は無情にも二人を引き裂いていく。
クリスはアメリカに帰国した後、エレンと結婚するが、キムを想い悪夢にうなされる日々が続いていた。一方、エンジニアと共に国境を越えてバンコクに逃れたキムはクリスとの間に生まれた息子タムを育てながら、いつの日かクリスが迎えに来てくれることを信じ、懸命に生きていた。
そんな中、戦友ジョンからタムの存在を知らされたクリスは、エレンと共にバンコクに向かう。クリスが迎えに来てくれた---心弾ませホテルに向かったキムだったが、そこでエレンと出会ってしまう。クリスに妻が存在することを知ったキムと、キムの突然の来訪に困惑するエレン、二人の心は千々に乱れる。したたかに“アメリカン・ドリーム”を追い求めるエンジニアに運命の糸を操られ、彼らの想いは複雑に交錯する。そしてキムは、愛するタムのために、ある決意を固めるのだった---。 - オリジナル・プロダクション製作
- キャメロン・マッキントッシュ
- 作
- アラン・ブーブリル / クロード=ミッシェル・シェーンベルク
- 出演
-
エンジニア:駒田 一 / 東山義久 / 桐山照史 (トリプルキャスト)
キム:屋比久知奈 / 清水美依紗 / ルミーナ (Wキャスト)
クリス:甲斐翔真 / 小林 唯 (Wキャスト)
ジョン:チェ・ウヒョク / 金本泰潤 (Wキャスト)
エレン:エリアンナ / 加藤梨里香 (Wキャスト)
トゥイ:岡 シモン / 吉田広大 (Wキャスト)
ジジ:則松亜海 / 藤森蓮華 (Wキャスト)
ほか